私は結構好きに生きてきました。好き勝手に、かもしれません。
好きな仕事を渡り歩くから、どの仕事でもそれなりに能力が発揮できて楽しいけど、いつも転職貧乏でした。
(今は介護の仕事をしていますが、先日お話したように大昔にプログラマーの仕事をした事があります。実は他にも中食の会社で惣菜の商品開発、設計事務所で建築設計など、転職の神殿で様々な職種にしてもらい、海千山千の今では賢者になったつもりです(笑))
でもお金が少なくても、ひとり親家庭で娘と二人気楽で幸せでした。
私には娘がいてダンスもあるし一緒にダンスを目指すダンサー仲間がいるので、コロナ禍で職を失ったり孤独を深めている人々に比べたら幸せだと思います。
子供時代から20代まではセンシティブで傷付きやすくとても生きづらい人でしたが、子供ができたことと、失業期間と転職活動を何度も乗り越えたことで心臓に毛が生えて恐い物が無くなりました。
今の私の娘を見ていると感受性が強く若い頃の私のようです。
仕事は楽しいとはいえ人生の時間の大半を家庭より会社に拘束され、月給というとりあえずの生活の安心感を得るためにサラリーマン生活を続けているのは本当は本来じゃないんだろうなーとうすうす感じつつ、一人で娘を育てるために妥協してきました。
朝決まった時間に毎日会社に行くのは好きじゃないけど、子供との生活のために、自分の好きなダンスを続けられるお金を得るために、と捨てる所は捨てていたんですね。
お金に執着が無いので、最低限好きな事を続けて暮らせれば十分でした。
でもそのささやかな幸せも、洗脳社会の籠の中で都合のいい所だけ見せられているのかもしれません。
世界は本当は「未来世紀ブラジル」という映画のようなディストピアなのかもしれませんね。国によって個人の情報が脅かされ、更に息苦しい世の中になっていくと感じます。
洗脳、と言えば以前、親は無意識に子供を書き換えているのでしょうか、とKOU先生にお話したことがありました。
社会や学校と同じように、世の中の親も自分の子供を、いや親だからこそ良かれと思って子供を自分の思う方向に行かせようとしたり、言葉で言わずとも態度で誘導したりして、この洗脳社会でそつなく幸せに生きて行かれる(すなわち洗脳社会に自分を合わせて生きていく)ように仕向けていると思います。子供の自由に任せ態度にすら出していないつもりでも無意識に子供を操っていないと言い切れるでしょうか?
私の娘は同調圧力に屈したくないと、傷付いてばかりいます。
私が大人になる過程で生きていくために妥協してうまく立ち回る事を覚え捨ててしまったものを娘はまだ持っています。
娘がもがきながら目指している、自分を歪めずに手に入れる幸せが本当の幸せの形なのかもしれません。
「好きなように生きる。楽しいことだけをやって生きる。」とはまさに娘が目指している自分を輝かせる生き方なのだと思います。
気功はそのための、生きやすくするためのツールなんですね。
そういえば気功の勉強を始めてから、被っていた殻が少しずつ剥けて目の前に見える一見今までと変わらない世界が、新しい世界に見えるような気がします。
自分でもこのタイミングでKOU先生の養成講座を見つけて飛び込んだのは、やはり自分の人生にとってそういう時期が来ていたのだと思います。
娘にも自分らしく生きやすくなるために、気功を教えてあげたいと思います。